
ふじたとうこ しょ藤田東湖書「みなとかは」
fujitatoko sho
作家名 | 藤田東湖 |
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Artist | fujitatoko |
生没年 | 1806〜1855 |
制作年 | 制作年不詳 |
サイズ(Dimensions) | (外寸)198.0×46.0cm (内寸)128.5×27.9cm |
分類(Category) | 書 |
形状・技法・材料 | 掛軸 / 紙 |
解説 | 吉川英治氏より喜寿のお祝いとして贈らる 本文「美なとかハ(湊川)みをすててこそ 橘のかくはしき名も 世に流れけれ 楠正成朝臣の名を慕ひ、奉りてよめる藤田彪(花押)」 藤田東湖は幕末の勤王家、水戸学派の儒者。幼名武次郎、通称虎之助、名:彪 号:東湖、幽谷の二子。父に従って江戸に出て亀田鵬斎、太田錦城に経学を学び、岡田十松に剣を学ぶ。文政10年(1827)水戸彰考館編修ついで総裁代理となる。文政12年藩主継嗣問題に下士改革派を代表して斉昭擁立のため出府して奔走し斉昭の襲封後その知遇を受けて八田郡、太田郡の郡奉行を歴任。江戸通事、御用人に進み斉昭を輔けて藩政改革に尽力した。弘道館を設立し兵器、軍艦を作って兵制整備に当たったが弘化1年(1844)その施政が幕府の忌諱にふれ斉昭は譴責謹慎を命じられ彼も蟄居となった。その間「正気歌」等を著し尊攘思想を鼓吹した。嘉永2年(1849)赦され嘉永6年(1853)斉昭が幕政に参与すると再び御用人に登用され海防策など進言したが安政の大地震によって圧死した。 |
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