
きどたかよし しょ木戸孝允 書
kidotakayoshi sho
作家名 | 木戸孝允 |
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Artist | kido takayoshi |
生没年 | 1833〜1877 |
制作年 | 制作年不詳 |
サイズ(Dimensions) | (外寸)26.0×43.5cm (内寸)61.0×121.0cm |
分類(Category) | 書 |
形状・技法・材料 | 掛軸 / 紙 |
解説 | 「長輿 松菊生」木戸孝允は長州藩和田昌景の次子で政治家、雅号は松菊。天保11年(1840)桂家を継ぎ桂小五郎と称し慶応元年(1865)藩令によって木戸貫治と改め、準一郎と称した。1849年吉田松陰の兵学門下となる。1852年に江戸に出て剣客斉藤弥九郎の首場に入ってその塾頭となり、また江川太郎左衛門らについて西津兵術と修めた。これ以後松陰門下の久坂玄瑞、高杉晋作らとともに尊攘運動に奔走。1860年藩の軍艦丙辰丸艦上で水戸藩士と会見。井伊大老殺害と時局打開について盟約を結ぶ。1866年に土佐藩士坂本龍馬を介して薩摩の西郷、大久保らと薩長連合密約を結び討幕運動を主導し王政復古実現、明治元年(1868)参与、総裁局顧問となり西郷、大久保と並んで明治政府の中核に参画し「五箇条の誓文」の草案起草に当たり列候会議の形式を天皇の神前誓約の形態に改め封建的因習の打破、に努めた。1876年内閣顧問となり翌年の西南の後中病死した。 |
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